引用:Hatena Diary Keyword
舞台や放送などにおいて、それを見る人の関心を
一定時間以上集めておく事が出来る術
もしくは魅力を持つと信じられており
それによって主要な収益を上げ
生活を立てている人達の総称。
タレントとほぼ同義。
関西では「芸能人」という言葉は使用されない。
「芸人」と呼ぶ。
本来の意味は、「寺社仏閣に歌舞音曲を奉納する人」。
tokyo.sora
「マシェリ」「爽健美茶」などのCM演出で知られるディレクター石川寛の映画初監督作品。東京の空の下で暮らす、見ず知らずの6人の若い女性たち(板谷由夏、井川遥、仲村綾乃、高木郁乃、孫正華、本上まなみ)それぞれの日常の生活を、交錯したオムニバス形式で軽やかに捉えた作品。
脚本は事前に用意されておらず、撮影段階で台詞を紡ぎ出す(というよりも台詞そのものが異様に少ない)という実験的スタイルによって、映像的新鮮さと現代女性のリアル感はそこはかとなく醸し出されている。欲を言えばもう少し全体的なメリハリがほしかったところだが、そこを強調すると繊細な味わいが崩れてしまうだろうから難しいところではあろう。やがて見ず知らずの関係だった彼女たちは「tokyoのsora」によってひとつに結ばれていく過程も、ナチュラルで納得できるものではある。(的田也寸志)
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緻密さと愛情の、極上の出会いです |
CM出身の監督らしく、短いシーンの積み重ねの映画です。
ひとつひとつのシーン撮影は、シークエンスだけを女優に投げ、女優自身のアドリブで演技させる手法をとったとのことですが、プロットの段階でかなり緻密に計算されており、シーンとシーンは有機的なつながりを持っています。そのため、最後にはジグソーパズルのピースがはまるように現実の東京が全体像として浮かび上がってくる仕掛けになっています。
そして、その像は、現実を生きる女性の悲しさ切なさをも包み込んで、「それでも生きよう」という明確で力強いメッセージで結ばれます。
確かに、親切で分かりやすいタイプの映画ではありませんが、久しぶりに人に勧めたくなる(レビューを書きたくなる)邦画でした。
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深い残像を残す映画 |
この映画を映画館で観たのはロードショー当初だったから、もう2年は過ぎようか。
それも一度きりの観賞だったから、記憶が遠くになった今、
キャストや映像がおぼろげになっても仕方ないだろう。
しかし、この映画に関して、私は今もまざまざと
早朝の東京を板谷由夏と井川遥が走り続けるシーンの色合い、音と声、空気を
昨日のように思い出すことができる。
編集者、西島秀俊の軽妙で不誠実な態度に胸を痛め、
腹を立てた自分を思い出すこともできる。
不本意な格好をさせられて、ガードレールのふもとでティッシュ配りをする本上まなみの儚げな声と
胸の底にあっただろう焦燥感をはっきり感じ取れる。
そして、全編の背景だった「東京の空」の色と
最小限な挿入でありながら最大限に活かされていた菅野さんの曲を
今、体全体で味わうことができる。
不思議な映画だったが、多分、忘れることのない映画だと思う。
インパクトのない映画のはずだったが、
実は深く私の心を侵食していたことを2年半後の今、確認できた。
改めて、監督の手腕に脱帽する。
登場人物たちは今、どこで何をしているのだろう。。。思わずエールを送りなおしたくなる。
東京に住む、あるいは住んだことのある女性たちに贈りたい1編だ。
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オブラートに包まれた現実 |
最近、洋画ばかり見ていたので
ふいに邦画が恋しくなり
レンタルショップで探して借りてみた。
現代人、というより私の心の中を表した印象を受けた。
人と関わりたいが、誰と関わったらいいのかわからない。
一人で生きていく不安、孤独、寂しさが
主人公の女性を二人ずつ交互に場面をいったりきたりすることで表現している。
淡いトーンや控えめなBGMも効果的だ。
現実の私はここまであからさまに孤独でもないが
心の中では一人を感じる時間が多い。
その一人感を認めたくないから
人前ではわざと明るく振舞うことも少なくない。
この映画の中の女性たちは
私より一人なんだと思った。
現実でも心の中でも、一人という孤独と戦っている。
もっとも魅力的だった言葉は
「生きているのをやめてしまいたいと思ったことはある?………
俺は毎日思う。」
このシーンだ。
この言葉を言いきるまでにかける時間、
二人の間に流れる空気、
最後に女性が流す涙。
2時間かけてストーリーを構成し、
一番言いたかったことがこのシーンにかけられている。
私は全身が総毛だった。
この映画は私が認めたくない暗い闇の部分を
オブラートに包んで優しく見せてくれた。
こういう生き方も悪くないと、
初めて思えた。
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肯定的な評価が多い様ですが... |
パッケージの写真がとても美しい事と本上まなみさんのファンなので、ビデオ版をレンタルしました。
@映画としての評価
1つの映画としてみた場合の個人的な評価ですが、かなり低いです。 ストーリーらしいストーリーが無く、閉塞感が漂う日常がただ流れているだけです。体温・肉・血・骨等の動物的な生命力が全く感じられず、植物的な人間が動いているだけです。しかも、前知識が無いと何の話なのかがまるで分かりません。台詞や音が聞こえない事が多いです。監督がやりたい事や観客に伝えたい事が全然理解出来ません。
しかし、綺麗な写真が動いている様な映像や音楽の使い方が非常に巧いです。音楽自体も綺麗です。
A本上まなみさんのファンとしての評価
全員、演技をしているとは思えない程自然に見えます。本上さんがあんなに名演技をするとは思わなかったです。キャスティングも最高です。だからこそ、こんな映画を作って欲しくなかったです。
個人的には、『20世紀ノスタルジア』と同様に、サントラと写真集は欲しいけれど、映画はもう観たくありません。
本編が流れる前の『群青の夜の羽毛布』(同じく本上まなみさん出演作品。それも主演!)予告編を観て、『群青の夜の羽毛布』が良さそうだったので、この『tokyo.sora』は大変残念です。
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おれ、話とかあんまり好きな人じゃないから。(キャバクラにて) |
病人のような自己表現の苦手な人たち、あるいは欲望すら吸い取られてしまった人たちのフィルム。
この映画には「わたしがここにいるぞ」と訴えかける人間がいない。恋人達は黙ってもそもそ抱き合っているだけだし、女優志望の女の人は病的なまでに大人しいし、キャバクラに訪れた男も全然静かだ。彼もまた病的に、静かだ。全体として、荒々しい性欲に似た、生命のほとばしりはここには見られない。みんな死人のように静かで、エッチしようとしたら断られるとかそんなだめだめな映像が次々に流れてわたしは何度も見るのを断念しそうになった。最後に誰かが死んで、「おれも毎日死のうと思っている」とかまた誰かが言うけど、当然だよ。何もかもきっちりぴったり収まっているけど、荒々しい生命のほとばしりがそこにないのだから。井川遥が走るシーンと女の尻がアップになるシーンが、唯一のカタルシス(解放)や欲望を感じさせるシーン。かよわく、消えそうな、病人たちの映画。今の日本はこんな人間ばかりなのでしょうか?



